RHSのブログ

立教大学ハーモニカ・ソサイアティー(RHS)の公式ブログです!

START LINE

こんばんわ、ブログではお久しぶりです!!
今や"元"主将となりました、ばしさんです。


さて遅くなりましたが、先日の日曜日12月12日、我々立教大学ハーモニカソサイアティ第51回定期演奏会
START LINE
が行われました。ご来場頂いた方々、誠にありがとうございます!!


17時半からほぼ3時間半にわたる、いまだかつてないボリューム、悪く言ってしまえばとにかく長い演奏会でした。ちなみに、きっかり1時間で片付けを成し遂げました。
まあ一因として私の挨拶がとても長い(勝手にタイムキーパーしてた某4年生によると15分!!)ということが挙げられるわけですが。
だけど僕は謝りません、開き直ります。というかむしろ、悪いことだと思っていません。


「話したいことは全て話す。」
とても重要なことだと思うのです。話したいことを話せないというのは、不幸なことだと思っています。
演奏会1週間前に挨拶の原稿を用意し、そこには私が伝えたいこと・話したいこと全てを詰め込みました。
演奏会を見に来てくれた人々へ。そして、部員へ。
何よりも大切な人々に伝えたいことを伝える。そのために準備した話です。寧ろ、短く纏まってしまったくらいじゃないかとも思っています。


私はパンフレットにも書き、そして挨拶後の曲に移る前にも話しました。
「音楽が音楽たる為には、それを聴いてくれる人・受け取ってくれる人の存在が欠かせない。」
と。我々が演奏したところで、それを聴いてくれる人がいなければ、それは音楽と言えないわけで。音楽という形を保っていられないわけで。
この考えは、私が今までの人生で出会った、とある4人の音楽家に影響されたものです。受け売りではないのですが、私は今年1年、ずっとこのことを胸に活動してきました。


そして聴き手の存在と同時に、音楽を生み出す存在も、大切な存在だと思っています。私の場合は、共に音楽を生み出す、多くの仲間達。
共に演奏する仲間達がいて、そしてそれを聴いてくれる人々がいたから、私は今まで"音楽"に携わることができたのだと思っています。
とても幸せなことだと思います。
私は去年の定期演奏会で、冗談まじりで「不幸が大きい」と自己紹介しましたが、今はもうそんな冗談は言いません。
「幸せが大きい」のだと。
胸を張っていられます。


さて演奏会を終え、もう1つだけ、話したいことがあります。
これは本当なら、演奏会の本当の最後に話そうと思っていた事。
生憎時間がなくてそれは叶いませんでしたが。今まで、誰にも話していないことです。・・・・多分。
私は挨拶の中で、「START LINE」の先にはまた新たな「START LINE」があると言いました。
そして私をはじめとする3年生が引退となっても、また新たな代がハモソと共に歩んでいくのだと。
その瞬間に出会えるは、それは悲しいことでも寂しいことでもない。
とても素晴らしいことだと。
ならば私はそれを、笑顔で迎えよう。涙でくっしゃくしゃになった顔で迎えるようなものじゃないだろうと。


それが証拠に私は演奏会当日、一切泣いていません。
去年はボロボロ泣いていましたが、今年は泣いていません。
出番ではないときに舞台袖で演奏を聴いているときも、自分が舞台上にいるときも、そして演奏会の幕が閉まった後も。
代わりに、言葉では形容し難い何か、けれど少なくともマイナスの意味の言葉は似合わない、そんな何か。
多分それが涙の代わりに、涙を邪魔してこみ上げてきたんだろうと。
こんなクサいこと、読んでいる側が恥ずかしくなるかと思いますが、私も恥ずかしいです、正直。笑
達成感とか、安堵とか、もちろんそういうものはありましたが、それ以上に。
それが何なのか、分かっていればこんなに言葉に苦労しないでしょう。
少なくとも今の私には、それが何なのか、答えを出すことは出来ません。そして、答えを急ぐようなこともしません。
きっとそのうち、分かるのでしょう。
分かる時が来たら、その時に私は泣くのでしょうか。


まぁいいや。私は気難しいことを考えるのが好きですが、気難しいことを考えるのは性に合いません。
何にせよ、立教大学ハーモニカソサイアティは、また新たな「START LINE」を切りました。
私は暫く、お休みを貰おうかと思います。もし時機が来たら、また皆さんの目の前に現れることがあるやも知れません。
それまでは私も一人、音楽を聴く・受け取る立場にいようと思います。
私も一人、これからの彼らがどんなものを見せてくれるのか、楽しみにしています。


それでは、またいつかお会いする日が来ることを願って。