RHSのブログ

立教大学ハーモニカ・ソサイアティー(RHS)の公式ブログです!

僕の音楽との「Memory」 【あと6日】

皆さん、こんにちは。未だ四年生になったという実感が湧かないというより、来年から学生という身分が剥奪されてしまい(順当にいけば)(大丈夫だよね?単位取れているよね?)、社会人になるという実感が全く湧いていない四年シングルパート逆紅一点です。前回が文思の自称ゴリラさん(そうは思えませんが)の、きっと愉快な内容だった事も有り、正直荷が重いですが、まあ、全く考えずに執筆しますね。 
 
さて、四年生を振り返ってみると、新しい界隈の推しが出来てしまい散財しながらも、自分が行くとは思わなかった業界に就職する事に決まったり、某山の上の大学の同期幹事長と音担と仲良くなって呑みに行ったり、ライブに行ったり、髪を染めてみたりと、去年までの自分では凡そ想定しきれていない毎日を送ってきました。人生ってわからないものですね笑  
 
 
さて、僕の話が長い事は関係者各位には周知だと思いますので、先に宣伝の方だけさせて頂きますね!僕のブログに全く興味の無い方、情報だけ知りたい方は、こちらをご覧になって、ブラウザバックして頂ければと思います笑(なお、全く同じ文面を文章末に転記しますので、僕のブログを最後までご覧頂ける優しくて、奇特な方は、こちらをスワイプして、下の本文からお読み下さい。) 
 
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立教大学ハーモニカ・ソサイアティ 
第60回定期演奏会「Memory」 
日程:2019年12月21日土曜日 
場所:曳舟文化センター 劇場ホール 
開場時間:16:30 
開演時間:17:00 
 
2019年度立教ハモソの集大成である定期演奏会昨年とは異なり、今度はクリスマスでもなければ、平日でもありません。しかも!会場は、あの東京スカイツリーの近所!来年、オリンピックで混雑する前に、午前、東京スカイツリーや浅草観光をして、夜は、立教ハモソの演奏を聴いて、一日を終えるという完璧な一日をご提案する事も可能です(因みに、東京スカイツリーは、この時期中庭のテラスでクリスマスマーケットも行っています。これは結構面白いですので、お勧めです)!是非、12/21という日を有効活用するためにも、立教ハモソ定期演奏会に足を運んで頂ければと思います! 
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さて、宣伝も終わったことですし、本題に移りたいと思います。今回の定期演奏会のテーマは、「Memory」。ブログのテーマも「Memory」となっています。ということで今回は、僕と音楽との「思い出」についてお話しようと思います。 
 
僕が覚えている中で一番昔の音楽との思い出は、小学生です。当時の僕は物凄い音痴で(今もあまり変わらないですが…)、音楽の授業が本当に好きではありませんでした。あんまり友達とも上手くいくような社交的な生徒ではなかったので、僕が歌うと「あらちゃん、音痴だから歌わないで!」等と同級生に言われた事もありましたし、当時、僕が好きだなぁと思った合唱曲の結構大事なパートを選出する試験の様な物を先生にお願いした時も、「残念だけど」という風に断られました。楽器の演奏も本当にダメで、鍵盤ハーモニカも、リコーダーもからきしでした。勿論、皆で合奏した時も他の楽器を出来る事は殆どありませんでした。
んな時、小学校六年生の時、初めて鍵盤ハーモニカと、リコーダー以外の楽器、シンバルを演奏させてもらえる事になりました!嬉しくて、すごい勢い良く鳴らしていたら、上記の同級生に「うるさい!」と怒られたこともありましたが(先生が、出せって言ったもん…)、余程一生懸命やっていたのでしょう、先生に目をかけて頂いて、ブラスバンドのクラブ(小学校の中の部活の様な物)で演奏しない?と提案してもらえる事になりました。嬉しくて、張り切って、部員の人と同じ時間に来てしまったのも今でも覚えています。他にも、小学生の時は、妹が通っていたピアノの教室で、助っ人(?)として演奏した事もありましたが、結局はまる事もなく、特に何もなかったです。 
 
 
中学生に入り、相変わらず音痴な少年は、同級生に怒られたり、馬鹿にされたりしながら、音楽の授業を受けていました。楽器の演奏も、合唱も出来なかった僕は、音楽の歴史の分野以外は全く楽しくもなんともなかったです。初恋の女の子が吹部の子で、彼女の影響で吹奏楽に興味を持った時期もありましたが(単純ですね笑)(吹部の人に怒られそう)(ハモソの吹部経験者に怒られそう)、結局最後まで小学校と変わらず、音楽に対していい思い出は殆どありませんでした。 
 
 
高校に入って、一年生の時、僕は本気で悩みました。悩む対象は、「選択授業」。僕の高校は、一年生の時に芸術の選択科目を終わらせます。選択出来る科目は、「美術」、「書道」、「音楽」。どれも得意なものは一つもなく、本音を言うとどれを選んでも、恥もかく上に、苦労する事は目に見えている。
 
悩んだ末、当時の僕が選んだのは、「音楽」。Mなの?と思う方もいるかもしれませんが、選んだ理由は、事前の配布プリントを見て、「音楽」が一番お金のかからない科目という事があったのと、「美術」と「書道」よりはまだ何とかなると思ったからでした。とはいえ、前年度までの義務教育期間九年間、僕を苦しめてきた「音楽」。当然、歴史は繰り返され、またも目の間に立ちはだかりました。特に、最初の歌の実技のテストでは、音楽教室の隣の殆ど無いに等しい壁を隔てた個室で校歌を歌うという公開処刑の様な物で、本当に辛かったです。その後、人生で最初で最後の合唱コンクールなるイベントに参加し、初めてテノールなるパートに配属され、そこでも苦労をしました、楽典の授業では、まさかの二回あるテストで二回とも赤点ギリギリを取り、前代未聞の留年の危機に立たされるという苦節に苛まれました。当時の僕は、理数科目以外はそこそこに出来る生徒だったので、同級生の友達にも心底驚かれました笑。余談ですが、同級生に吹部の部長の友達や、某大学のオケさんのコンマスになった子がいたなど、音楽が上手な友達には恵まれました。友達は、今でも僕の自慢です。 
 
 
ここまででお分かりの様に、高校生までの12年間、僕は音楽というものに憧れはあったものの、違う世界の人間が楽しむ、高尚な物という認識以外の何物でも有りませんでしたし、自分は、音楽の女神様に見向きもされないと思っていました。 
 
 
そんなこんなで迎えた、大学生。もうね、正直音楽なんてやらないんだろうなと、高校2年生の頃は思っていましたが、大学受験が終わり、教師になろうと考えていた僕に対し、保育士の母親が、「あんた、音楽出来ないと教師になれないよ。」と言われました。目から鱗とか、棚からぼたもちと同じくらい驚きましたが、ニュアンスとしては真逆。「やばい、先生になれないやん」。後からちゃんと調べたら、中学・高校の教職免許の講座過程では音楽はいらず、小学校先生の免許を取る時には気にするべき物である事を知ったのですが、当時の僕は顔面蒼白。急いで、初心者大歓迎の文字を目が皿になるんじゃないかというほど血眼になって、当時まだ紙面だった「Rikkyo Discovery」で探し、様々な候補を洗いざらいさらい、その中で「ハーモニカだから初心者大歓迎!」という文字を、当時のハモソのチラシで見つけ、門を叩きました。正直多方面に言っている「大学生に入って新しい事を四年間続けてみたくて、音楽にも興味があったから、音楽系サークルで自分が生きていけそうなサークルがここだったから」という入部理由も、全体の七割方を占めていますが、本当の理由はこれでした。 
 
 
ハモソに入った後、本当に真剣に練習しました。入って焦ったのは、上級生は勿論、同期も含めて、周りは化け物みたいに上手な人ばかり。特に同期は本当に上手で、今でこそ笑って「みんなすごいんだよ!」って、我が物顔で自慢できますが、当時の僕は本当に並んで歩くのが畏れ多いと感じるレベルで、「場違いや,,,。」と思う事もしばしばでした。さらに、自分のパートは一番前。当時の音担さんに、全然吹けていない事がばれて、愛想をつかされないだろうかとばかり気にしていました(おぐちーさん、ゆうか先輩、なつき先輩、ゆかちゃん先輩、たけし先輩、本当にすいませんでした)。どれくらい出来ないかというと、ドレミの振り方が分からず、音符の長さが分からない…。従って、楽譜を見ても何もわからないから、音源を耳コピするしかないのです(今もあんまり変わらないですが、当時はもより重症でした笑)。加えて、他の同期も苦しむ様に、ハーモニカが難しい。心配性で変な所で真面目な僕は、自宅に持ち帰って練習することは勿論ですし、先輩に長い時間教わりご迷惑をかけることもしばしばでした。他の人に迷惑が掛からない様にと考え一生懸命練習する傍ら、当時のアルバイトがそこそこに忙しかったという事や、学業もサボりたくない僕は、必死に他の事と並行して頑張りながら一年間過ごしていました。
 
 
二年目に入り、少し勝手を知る事が出来、落ち着きながらも、悔しい思いをする事や、少しだけ出来る様になった達成感に浸る等、感情が忙しい毎日。加えて演奏だけではなく、サークルの役職のお仕事も賜る事にもなり、これまた忙しい毎日。とはいえ、一年生の時のアルバイトをやめた事も有り、一年生に比べて楽しく、もっと言えば、集中して活動が出来ました。
 
 
三年生になり、もう初心者だからとか、下手くそだからとか言い訳も出来ない時期になってしまい、これまた必死に練習しました。特に、四大のある曲は、僕がかねてからやりたかった曲で、奇跡的に曲が通り、ソロの希望も通り、と嬉しすぎる奇跡が重なったので、人生で恐らく一番練習をしました(ソロデビューよりも、です)(思えば、曲選の運はここで使い果たしたのかもしれません笑)。そのおかげもあってか、当日の演奏は僕も満足のいく演奏が出来、当時、参考にしていた先輩お二人から、褒めて頂いて、本当に泣きそうになりました。定期演奏会も頑張りましたが、あれ程の達成感は得られなかったですね笑 
 
 
そうして迎えた四年生。 
アルバイトや、教習所、家庭の用事や、内定先の研修等で思ったより忙しく、昼練や日々の合奏の練習にこんなに参加出来なかった年は四年通じてなかったなと、寂しく悲しく思い、そして申し訳なく思いながら、それでも、何とかせねばと余裕の無い毎日を送っています。それでも、時は無情に過ぎて行くもので、気づけば定期演奏会は一週間を過ぎ、後約五日後に迫っています。新社会人になる実感もわかない僕ですが、流石にそろそろ最後の定演ということと、もしかしたらこれで音楽は最後かもしれないという二つの事の重大さを痛感しています(そして、このブログの執筆も最後です)。
 
四年間、様々な方々に支えて頂きました。部員の皆、OB・OGの方々、他大ハモソの皆様、部員のご家族の皆様、そして一般に来場される皆様。四年という月日を、自分の事のみに終始させず、色々な事があった事を忘れずに、一曲一曲大切に演奏しようと思います。 
 
 
さて、重い話もありましたが、僕の音楽との「思い出」というテーマでの本題は以上になります。とはいえ、「Memory」は、文字通り「メモリー」、つまり記録自体の意味もあります。過去の事に終始せず、差し迫った定期演奏会だけでなく、僕の人生の中の音楽の「Memory」はこれからも蓄積される事でしょうし、僕はそう願っています。 
 
さて、つまらない話はこの辺にしておいて、もう一回宣伝です。 
 
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立教大学ハーモニカ・ソサイアティ 
第60回定期演奏会「Memory」 
日程:2019年12月21日土曜日 
場所:曳舟文化センター 劇場ホール 
開場時間:16:30 
開演時間:17:00 
 
長年音楽の女神様にそっぽ向かれ続けた僕が、なけなしの力を振り絞ってしがみついてこられたのは、素敵な仲間と合奏が出来る楽しさを知る事が出来たからです。そんな素敵な仲間達と作り上げる定期演奏会。是非皆さんの「Memory」にも刻まれる様に、一生懸命演奏致しますので、ご都合がよろしければ、是非足をお運びください。 
 
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さて、明日の走者は、同じシングルパートであり、同じ史学科世界史専攻であり、同じ企画職でもあるという中々被る事が多いのに、どれもかっこよくこなす三女さんです。 
四年とは思えない長文駄文に付き合わせてしまい申し訳ありませんでした(5000字行ったらしい)。残り少なくなってきましたが、明日以降のブログも是非楽しんでご覧頂ければと思います。それでは、12/21にお会いしましょう!またねー、バイバーイ!